2005年2月 9日

恩師

最近、私の小学校一・二年の頃の恩師である榎野先生がお亡くなりになられたことを知った。

ご葬儀にも参列できずとても残念だったがこちらから手を掌わせご冥福を祈った。

個人的なことだが、生まれながらにして腕白な私は、小学校入学直前に家業であったパン屋のパン製造機に左手を挟まれ指を切断するほどの大怪我をしてしまった。私の不注意でさぞ両親や家族を落胆させてしまったことだろう。

桜の咲く入学式には三角巾で腕を吊り下げ記念写真に納まった。そんな頃に、担任となった榎野先生は私を励まそうと、パチンコ玉を棒で押し出し釘の間をすり抜けポケットに入ると得点になるという、温もりの伝わる木製のおもちゃをプレゼントしてくださった。

学校の先生がわざわざ我が家を訪問頂き、しかもおもちゃまで頂いたのでとても嬉しかった。そのときの情景は、いまでも覚えている。

それからというもの、先生の暖かいお気遣いに守られ怪我のことなど気にすることなく伸び伸びと学校生活に溶け込むことができた。やがて二年生も終わる頃、教室で榎野先生が教室の私たちにある石を下さった。

よく聞くと、それは富士山で拾った石だったそうだ。当時は道端にはたくさんの石ころが散乱していたような時代だったが、見たこともない変わった石だった。それが、私には宝物のように思えた。山がお好きだった榎野先生は富士山に登り私たちへのお土産として石を持ち帰ってくださったのだ。

そして先生はこう仰った。『みんなが、二十歳になったら一緒に富士山に登ろう』・・・幼い私たちの頭には、その言葉がしっかりとインプットされた。

それから十数年後、二十歳を迎え全国に散らばっていた有志たちは、富士山の麓のJR駅(駅名は忘れてしまった)に三々五々集まって、久しぶりの先生との再会を喜び、あの時の約束が果せたことに言い知れない感動を覚えたものだ。

あいにくその日の天候は大雨となり、五合目までで登山は断念せざるを得なかったが、このようにして榎野先生を中心に再び集まることができたことだけで十分満足であった。当時この出来事は、地元新聞にも紹介されたことを記憶している。

それからは先生とお会いすることもなく、訃報に接するまでの三十年余り非礼を続けていたことを恥じ入ると共にとても残念で仕方がない。私の人間形成の大きな第一歩を歩ませていただいた、大恩人であった。

どうぞ、安らかにお休み下さい。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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コメント

榎先生の追悼記事、懐かしく拝読しました。結構、かくじゃん!子供心に、周囲の大人の配慮がどれほどか影響を与える・・・ことを改めて思い知らされました。

私も、先生に合掌。

山歩き、やりましたね。出来る事なら複数で、登り続けてください。元気でね。

どうもどうも、読んで貰ってありがとう~(^^ゞ 榎野先生はほんとうに立派な人格者でした。私もかくありたいものです。
山のほうはクマ騒動以来ちょっとご無沙汰です。その代わりと言っちゃぁ~なんなんですが・・・今はディスクドッグにハマっておりまする(^^)b

来月は空港のほうの公園で大会がありますので無謀にも初エントリーをしてきます♪

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